造園業界の職人さんについて考えたこと
現在開催されている、「全国都市緑化フェアTOKYO」というイベントの井の頭会場の花壇の設計監理の仕事に携わらせていただいています。その準備期間だった9月中旬の2週間ほど、連日、井の頭公園に通っていました。
会社としては、普段の施工や手入れなどの仕事もこなしつつ、私自身は、朝から夕方まで井の頭公園の現場に張り付いていたので、スケジュール的にはかなり大変でしたが、久々に電車に乗る時間が長かったので、たくさん本を読むことができてうれしかった。
今日は、その読み終えた本の山を、久々の休日を利用して、折り返した部分を抜き書きしつつ、整理していました。
設計監理という仕事は、現場で施工される業者さんが、図面通りに施工しているかどうかを監理することなので、「自分で植栽しない(というか、基本的に手を出してはいけない)」という仕事になります。普段は、自分で配植を考え、材料を選び、実際に現場で土の状態をチェックし、必要な肥料や改良材を混ぜ込み、植え込むという仕事をしていて、それが、体に染みついてしまっているので、基本的に手を出さずに見ているだけ(でもないのですが、実際は・・・)という仕事は、端から見ていると楽なように見えるかもしれませんが、慣れるまでは結構大変でした。
仕事の内容もさることながら、こういう現場の規模も初めてのことで、本当に、いろいろなことを経験させてもらっています。
最初に驚いたのは、造園屋さんが草花の名前を知らなかったこと。「そのダイアンサスは手前に」というと、「ダイアンサス?ああ、花のことね」。「トレニアは、○cmピッチで行きましょう」と言うと、「トレニア?、ああ、草のことか」という感じで、私は、「どれも花だし、草なんだけどなー」と思い、「???」という感じだったのですが、しばらく一緒に作業をしていて、どうやら花がついているもののことを「花」と呼び、花や蕾がついていないもののことを「草」と呼んでいるらしいと気付き、「うーん、それくらい知らないのか・・・植物を扱う同じ業界の人なのに。」と、複雑な気持ちになっていました。
しかし、先日、会期が始まって初めて会場に行き、たまたま花壇の水やりをしていた若い職人さんと話をしたら、「あのインパチェンスは、最初から大株だったから・・・」とか、「ガーベラもダメかと思ったけど、復活してきましたよ」などと、普通に品種名を挙げて話をしてくれたのです。たった数週間で、会話の内容が進化したことが、すごくうれしくて、それだけでも、「ああこの仕事に携わったかいがあったな~」と、しみじみ思いました。
今日、整理していた本の中の一冊に、『森林の崩壊』(白井裕子著)があります。この本の後半で論じられている、今や輸入材よりも安くなってしまった国産材をいかに活用するかというテーマの中に、日本の職人さんに関するこのような文章があります。
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自分で考え、判断でき、技術をもった技能士(職人)を育て、その社会的地位を明確にし、尊重することが重要である。現場の技能者を、安く早く働けば良い労働者として扱えば、彼らの良心の働きも鈍る。建築するのは彼らである。木を見て割れが出ないように釘を打つのも、力のかかりにくい場所を選んで木を接ぐのも、彼らの技能や誠意にかかっている。その大前提が崩れては、机上で行われる構造計算、検査はまさに空論であろう。人の経験や感性による職能や技能を軽視し、これ以上、現場を疎かにする事は危険である。
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造園の仕事は、現場で土を掘ってみないとわからないことなどがあり、建築の仕事以上に職人の現場での判断にゆだねられる場面が多い仕事かもしれません。それが、建築と同様にマニュアル通り、規定の時間内に施工することのみ尊重されるようになってしまっては、良いことはないであろう。
少しでも良いものをつくろうというのが、職人さんの本能。これからの日本は、公共の仕事や大規模な仕事の場でも、そのような職人さん本能が活かされるような、ちょっとした余裕のある社会に変わっていきたいし、少なくとも自分自身は、そのような仕事をしていきたいと思う。
会社としては、普段の施工や手入れなどの仕事もこなしつつ、私自身は、朝から夕方まで井の頭公園の現場に張り付いていたので、スケジュール的にはかなり大変でしたが、久々に電車に乗る時間が長かったので、たくさん本を読むことができてうれしかった。
今日は、その読み終えた本の山を、久々の休日を利用して、折り返した部分を抜き書きしつつ、整理していました。
設計監理という仕事は、現場で施工される業者さんが、図面通りに施工しているかどうかを監理することなので、「自分で植栽しない(というか、基本的に手を出してはいけない)」という仕事になります。普段は、自分で配植を考え、材料を選び、実際に現場で土の状態をチェックし、必要な肥料や改良材を混ぜ込み、植え込むという仕事をしていて、それが、体に染みついてしまっているので、基本的に手を出さずに見ているだけ(でもないのですが、実際は・・・)という仕事は、端から見ていると楽なように見えるかもしれませんが、慣れるまでは結構大変でした。
仕事の内容もさることながら、こういう現場の規模も初めてのことで、本当に、いろいろなことを経験させてもらっています。
最初に驚いたのは、造園屋さんが草花の名前を知らなかったこと。「そのダイアンサスは手前に」というと、「ダイアンサス?ああ、花のことね」。「トレニアは、○cmピッチで行きましょう」と言うと、「トレニア?、ああ、草のことか」という感じで、私は、「どれも花だし、草なんだけどなー」と思い、「???」という感じだったのですが、しばらく一緒に作業をしていて、どうやら花がついているもののことを「花」と呼び、花や蕾がついていないもののことを「草」と呼んでいるらしいと気付き、「うーん、それくらい知らないのか・・・植物を扱う同じ業界の人なのに。」と、複雑な気持ちになっていました。
しかし、先日、会期が始まって初めて会場に行き、たまたま花壇の水やりをしていた若い職人さんと話をしたら、「あのインパチェンスは、最初から大株だったから・・・」とか、「ガーベラもダメかと思ったけど、復活してきましたよ」などと、普通に品種名を挙げて話をしてくれたのです。たった数週間で、会話の内容が進化したことが、すごくうれしくて、それだけでも、「ああこの仕事に携わったかいがあったな~」と、しみじみ思いました。
今日、整理していた本の中の一冊に、『森林の崩壊』(白井裕子著)があります。この本の後半で論じられている、今や輸入材よりも安くなってしまった国産材をいかに活用するかというテーマの中に、日本の職人さんに関するこのような文章があります。
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自分で考え、判断でき、技術をもった技能士(職人)を育て、その社会的地位を明確にし、尊重することが重要である。現場の技能者を、安く早く働けば良い労働者として扱えば、彼らの良心の働きも鈍る。建築するのは彼らである。木を見て割れが出ないように釘を打つのも、力のかかりにくい場所を選んで木を接ぐのも、彼らの技能や誠意にかかっている。その大前提が崩れては、机上で行われる構造計算、検査はまさに空論であろう。人の経験や感性による職能や技能を軽視し、これ以上、現場を疎かにする事は危険である。
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造園の仕事は、現場で土を掘ってみないとわからないことなどがあり、建築の仕事以上に職人の現場での判断にゆだねられる場面が多い仕事かもしれません。それが、建築と同様にマニュアル通り、規定の時間内に施工することのみ尊重されるようになってしまっては、良いことはないであろう。
少しでも良いものをつくろうというのが、職人さんの本能。これからの日本は、公共の仕事や大規模な仕事の場でも、そのような職人さん本能が活かされるような、ちょっとした余裕のある社会に変わっていきたいし、少なくとも自分自身は、そのような仕事をしていきたいと思う。
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