経済のための経済? デザインのためのデザイン?
普段私は、植栽という、外から建物に関わる立場で仕事をしているので、室外機の見え方とか、送風口の位置などが非常に気になるわけです。
それで、エアコンの室外機の問題点(室内の数台を、室外機1台にまとめる技術があるのに、なぜそうしないのか?とか、さらに、その一台一台が、デザインが微妙に変わるものが並ぶので気持ち悪いとか、送風口を上向きにすることはできないのか?とか・・・)をいろいろと口にしているくせに、いざ、自分がエアコンを買おうとしたら、そのことがすっかり頭の中から抜け落ちていたことに家に帰ってきてから気がつきました。
家電量販店には、室外機の見本はほとんど置かれていないし、室内機に関するあれだけの過剰な情報を目の当たりにしてしまうと、頭の中が、その情報を咀嚼することに精一杯になってしまって、それ以外の条件ことは、すっかり抜け落ちてしまっていたのです。
そんな頭の悪い自分自身に少々落胆して、そのことについて、このところ時間があると考えていました。
考えてみれば、エアコンというものは、実は、室外機の方が「本体」と言っても良いくらい、室外機の性能の方が重要なはずです。しかし、日本の家電業界では、室内機の部分にセンサーとか、湿度を保持してお肌をしっとり保つ機能とか、自動掃除機能とか、小さな機能を少しずつ加えていくことで、価格を上げていくという戦略をとっています。いわゆる「上位機種」とういのは、それらのオプションがすべて揃ったもののこととなっていて、室外機本体のスペックは変わりません。
これって、他の家電製品や自動車、もっと言うと、大手ディベロッパーが提供するマンションとか、ハウジングメーカーが提案する住宅とか、あらゆるものに同様なことがおこなわれていますよね? それで、これは日本特有な文化なのかな?と思ったりしているときに、以前読んだ、柳宗理さんのインタビューを思い出しました。(特に日本特有の文化ではないみたいですけど、日本から外国を眺めてみると、これほどまではヒドイ現象が起きていないような気がするのは確かです・・・)
西村佳哲さんの『自分の仕事をつくる』という本で、西村さんは、まず、こんなことを書いています。
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私たちは毎日、誰かがデザインしたものに囲まれて暮らしている。別の言い方をすれば、生きてゆくということは、いろんな人の“仕事ぶり“に24時間・365日接しつづけることだとも言える。そして、「こんなもんでいいや」という気持ちで作られたものは、「こんなもんで・・・」とう感覚をジワジワと人々に伝えてしまう。
そんな貧しい感覚の大量複製に工業化の力が使われるなんて、イームズをはじめとするモダンデザインの先駆者たちが知ったらどう思うだろう。彼らに会わせる顔がないが、私たちは事実としてその貧しさを生きている。モノが沢山あるにもかかわらず、豊かさの実感が希薄な理由の一つはここにあると思う。
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私たちが、無意識のうちに「良いものを選びたい」と思ったり、手に入れようとするものの後ろにある物語を知って嬉しくなったりするということには、そういうものに囲まれた暮らしの方が豊かだという実感があるからなのですね。
そこで、西村氏は、その頃まだご存命だった工業デザイナーの柳宗理さんにインタビューに行きます。柳さんの言葉。
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スケッチなんかあまりしないな。とくにプレゼンテーションのための絵なんていうのは絶対に描いちゃいけないっていう信念があるらね(笑)。そんなインチキはできない。
いまのデザインの考え方は、アメリカの影響だな。つまりコマーシャルデザインだよね。ロサンジェルスにアートセンタースクールっていうのがあるでしょ。僕、戦後に訪問したことがあるんだよ。だけどね、アメリカの自動車のデザインを見て、こりゃひどいことになっているなあって思った。彼らはスタイリングを追及して、机の上でレンダリングばかり描いていた。
でもそんなものからいいデザインなんて、絶対に出てこないからね。それは絵でしかないんだから。まあ素人に見せるにはわかりやすいだろうけど(笑)。でもインチキだと思ったね。
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うーむ・・・
「インチキ」か・・・
講師として、プレゼンテーションのためのスキルを教えるという仕事もしていたりする私としては、耳の痛い話ではありますが、でも、確かに、「素人に見せるにはわかりやすい」という面もあり・・・
まあ、私の講師としての仕事の話は置いておいて、西村さんは、柳さんへのインタビューのまとめとして、こんなことを書いています。
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どのような分野にも、技術進化の過程で起こる倒錯現象がある。目的と手段が入れ替わってしまう現象だ。
<中略>
このような人を見かけると、私たちは苦笑するかもしれない。が、デザインにおいても経済においても、同じことが行われている。企業社会における経済活動の大半は、経済のための経済であり、より多くのお金を引き寄せるために仕事がかさねられる。しかし本来お金は、人間同士が交換している様々な価値の一時的な代替物に過ぎず、それ自体が目的ではなかった。
<中略>
優れた技術者は、技術そのものではなく、その先にかならず人間あるいは世界の有り様を見据えている。
技術の話をしている時にも、必ず単なる技術に終わらない視点が顔をのぞかせる。音楽家でも、医者でも、プログラマーでも、経営者でも同じだ。
柳氏がアートセンタースクールで感じた心地悪さは、デザインが「人を幸せにする」という本来の目的を離れ、デザインのためのデザインという堂々めぐりに陥りはじめている、その無自覚性にあったのだと思う。デザインに限らず、経済のための経済、医療のための医療、消費のための消費など、目的と手段のバランスを失わない唯一の手段は、私たち一人一人が、自分の仕事の目的はそもそもなんだったのかを、日々自問することにある。
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あの、エアコン売り場で感じた居心地の悪さは何だったのだろう?と改めて考えます。
もしかしたら、美しい室内を邪魔しないために、一生懸命に無駄をそぎ落として考えられたデザインのものもあったかもしれません。もしくは、お金を取るために、小さな機能を一つ一つ加えていくことでグレードアップするという戦略を取っているメーカーもあったかもしれません。ただ、商品を売る側が、それぞれのメーカーや作り手の思いを一色単にして、「こうしたら選びやすいでしょう」と提案している方法が、画一的すぎて、それぞれのメーカー(作り手)の思いが無視されていたことが、原因だったのかもしれません。
仕事をたくさんいただいて、忙しくなってくると、どうしても「こんな感じでOKかな?」という感じで、自分の仕事に対する基準が甘くなってしまいがちです。
今回の、家電量販店でのエアコン選びは、正直言ってとても疲れたけれど、「自分の提供する仕事の一つ一つが、そこで暮らす人に対して、影響を与えるのだ」という、当たり前のことを改めて認識する、良いきっかけになりました。