当たり前だけど、「仕事は勉強。」
2008年の秋頃から関わらせていただいている、町田ひろ子アカデミーのガーデニングプランナー科の新学期が、今年も始まりました。
このカリキュラムに関しては、担任でもないし、それほど責任重大な部分を担当しているわけではないのですが、「転職」や「今後の人生を充実させるため」ということを目的に入学している人たちに、何かを伝えなければならないわけで、それぞれの生徒さんの立場に立って考えると、かなり責任重大な役割だと思うと、始まる前にはそれなりに緊張するのです。
そうしたことに意識が向いていると、そういう関連の情報が目に入ってくるんですね。最近読んで面白かったものを二つ、紹介しようと思います。
一つ目は、『MAMMO.TV』というサイトに掲載されていた、建築家 坂口恭平さんのインタビュー
#281 「自分のために生きることを止めたとき、躍動した暮らしが始まる」
坂口さんは、2004年に日本の路上生活者の住居を収めた写真集『0円ハウス』を刊行した人です。
路上生活者に対して、「利用価値のないゴミを自然素材のように扱っていた」という言い方にひかれて、結構長いインタビューなのですが、一気に読んでしまいました。その一部を抜粋します。
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「路上生活者がダンボールなどでつくった家に関心を抱くようになったのはなぜですか?」という問いに対して、
彼らは都市において唯一自力で家や仕事、生活を発明し、つくりだしていたからです。普通に都市で暮らしている人たちが「利用価値のないゴミ」と見なすものを自然素材のように扱っていたし、彼らはまるで鳥が小枝で巣をつくるように暮らしていた。お金が極力かからない生き方をしていた。
考えてみれば、水も空気もタダで手に入るもので、土地も人がつくりだしたものでなく、自然に与えられたものでしょう?
本来は所有できないものが誰かに管理されていて、それを使うため、買うために働き続けないといけない僕らの暮らしは、ちょっとおかしいのではないか?そう思うようになりました。
「家やマンションのローン返済のために働くという労働観が揺さぶられます。」という問いに対して。
そうです。僕は「じゃあ、あなたがたは何のために働くのか?」と言いたいわけです。誰しも「こういう世の中ならいいな」「本当はいまの暮らしは嫌だ」とか自分の考えをもっていますよね。
でも、やりたいことを選ばずに嫌々働いたりしている。徹底的に考えずに「やりたいことをするのは無理だから」という理由で、胸の奥に思いを秘めつつ、人から言われたことをやっている。
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もうひとつは、ちょっと時間があったので、久々に入ってみたヴィレッジヴァンガードで見つけた松浦弥太郎さんの本『ぼくのいい本こういう本』 。ちょっと古い本ですが、言わずとしれた本のプロフェッショナルが本の紹介をしているのだから、どのページも面白いのですが、ここで紹介するのは、「勉強は楽しいと言える生き方」というページ。
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仕事とは何かと考える。まず頭に浮かぶのは勉強であるということだ。その勉強というものは、本来楽しいものである。しかし、好きか嫌いかと訊ねると、大体の人がうーんと黙ってしまう。好きではないということだ。
〈中略〉
大人になると生き方の選択ができる。どこにも所属せず、誰にも管理されない生き方が選べる。たとえば、誰にも管理されない生き方を選んだ場合、今日はこうしろ、明日はああしろという人は誰もいない。そこで自分ははじめて何をするかを考えなければならない。今日自分は何をするのか。何をしたいのか。何を考えるのか。何が食べたいのか。誰に会って、どこへ行きたいのか。何を知りたいのか。何を言いたいのか。そういう根本的なことを自分で考えて決めなければならない。その考える決める行為が勉強の第一歩だ。生きるとは歩くということだ。歩くためには知恵や方法が必要である。どんな人でもまずはそこから出発をしている。勉強とは何か。それは歩きはじめることである。自分ではじめることはたのしいと言えるのである。
『執筆前夜』、車谷長吉の『文士の生魑魅』。二冊共に仕事とは何かを教えてくれる一冊である。仕事とは勉強である。勉強は楽しい。人に管理される生き方は捨ててしまえ。
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深くうなずいたあと、今年最初の講義にのぞんだのでした。
このカリキュラムに関しては、担任でもないし、それほど責任重大な部分を担当しているわけではないのですが、「転職」や「今後の人生を充実させるため」ということを目的に入学している人たちに、何かを伝えなければならないわけで、それぞれの生徒さんの立場に立って考えると、かなり責任重大な役割だと思うと、始まる前にはそれなりに緊張するのです。
そうしたことに意識が向いていると、そういう関連の情報が目に入ってくるんですね。最近読んで面白かったものを二つ、紹介しようと思います。
一つ目は、『MAMMO.TV』というサイトに掲載されていた、建築家 坂口恭平さんのインタビュー
#281 「自分のために生きることを止めたとき、躍動した暮らしが始まる」
坂口さんは、2004年に日本の路上生活者の住居を収めた写真集『0円ハウス』を刊行した人です。
路上生活者に対して、「利用価値のないゴミを自然素材のように扱っていた」という言い方にひかれて、結構長いインタビューなのですが、一気に読んでしまいました。その一部を抜粋します。
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「路上生活者がダンボールなどでつくった家に関心を抱くようになったのはなぜですか?」という問いに対して、
彼らは都市において唯一自力で家や仕事、生活を発明し、つくりだしていたからです。普通に都市で暮らしている人たちが「利用価値のないゴミ」と見なすものを自然素材のように扱っていたし、彼らはまるで鳥が小枝で巣をつくるように暮らしていた。お金が極力かからない生き方をしていた。
考えてみれば、水も空気もタダで手に入るもので、土地も人がつくりだしたものでなく、自然に与えられたものでしょう?
本来は所有できないものが誰かに管理されていて、それを使うため、買うために働き続けないといけない僕らの暮らしは、ちょっとおかしいのではないか?そう思うようになりました。
「家やマンションのローン返済のために働くという労働観が揺さぶられます。」という問いに対して。
そうです。僕は「じゃあ、あなたがたは何のために働くのか?」と言いたいわけです。誰しも「こういう世の中ならいいな」「本当はいまの暮らしは嫌だ」とか自分の考えをもっていますよね。
でも、やりたいことを選ばずに嫌々働いたりしている。徹底的に考えずに「やりたいことをするのは無理だから」という理由で、胸の奥に思いを秘めつつ、人から言われたことをやっている。
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もうひとつは、ちょっと時間があったので、久々に入ってみたヴィレッジヴァンガードで見つけた松浦弥太郎さんの本『ぼくのいい本こういう本』 。ちょっと古い本ですが、言わずとしれた本のプロフェッショナルが本の紹介をしているのだから、どのページも面白いのですが、ここで紹介するのは、「勉強は楽しいと言える生き方」というページ。
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仕事とは何かと考える。まず頭に浮かぶのは勉強であるということだ。その勉強というものは、本来楽しいものである。しかし、好きか嫌いかと訊ねると、大体の人がうーんと黙ってしまう。好きではないということだ。
〈中略〉
大人になると生き方の選択ができる。どこにも所属せず、誰にも管理されない生き方が選べる。たとえば、誰にも管理されない生き方を選んだ場合、今日はこうしろ、明日はああしろという人は誰もいない。そこで自分ははじめて何をするかを考えなければならない。今日自分は何をするのか。何をしたいのか。何を考えるのか。何が食べたいのか。誰に会って、どこへ行きたいのか。何を知りたいのか。何を言いたいのか。そういう根本的なことを自分で考えて決めなければならない。その考える決める行為が勉強の第一歩だ。生きるとは歩くということだ。歩くためには知恵や方法が必要である。どんな人でもまずはそこから出発をしている。勉強とは何か。それは歩きはじめることである。自分ではじめることはたのしいと言えるのである。
『執筆前夜』、車谷長吉の『文士の生魑魅』。二冊共に仕事とは何かを教えてくれる一冊である。仕事とは勉強である。勉強は楽しい。人に管理される生き方は捨ててしまえ。
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深くうなずいたあと、今年最初の講義にのぞんだのでした。