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『庭師の娘』

 読み終わって、じんわりと「良かったな~」と思える物語です。


18世紀の後半のウィーンで、庭師の娘が庭師を目指す物語です。18世紀のヨーロッパでは、結婚しない女性は家庭教師や看護の仕事をするものとされていました。そんな中、周りの人に助けられながら、ひとりの女の子が新しいタイプの庭を作っていくという物語です。物語の中にモーツアルトが出てきたり、マリア・テレジアが出てきたりといった、そんな時代のお話です。

主人公マリーを応援してくれている、メスメル博士のこんなセリフがあります。

「わたしは、おまえが描いたような庭をぜひとも持つべきだ、とミュック親方を説きふせようとした。
しかし、まったくの無駄骨だった。あの男には、おまえの、きわめて斬新ですばらしい庭の構想がまったくわからないのだ。あれを見ると、風形式庭園を思い出す。最新流行のイギリスの庭園様式で、いままでなかったものだ。だがミュック親方は、まったく理解を示さない。わかるはすもない」

なんだか今と変わらないですね。

当時の庭園様式のことについて、訳者あとがきに詳しく説明されているので、それを引用しようと思います。
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フランス式庭園というのは、後に「庭園の王」と呼ばれるアンドレ・ル・ノートルが創りあげた形式です。広い敷地の中央にまっすぐな道を設けて、そこを中心線として左右対称の幾何学的な形の花壇や池、並木、彫像を配置します。ル・ノートルは、独創的な庭園をフランスの財務官ニコラ・フーケのために造り上げて1661年に披露したのですが、フランス国王ルイ14世は、そのあまりのすばらしさに嫉妬してフーケを追放し、ル・ノートルに自分のために大庭園を造らせたのでした。それが現在のヴェルサイユ宮殿です。
 こうした庭は自然を人間の力で支配することを象徴していて、まさに絶対君主性の秩序を表現していました。この庭の形式はたちまちヨーロッパに広がり、ウィーンにある、マリア・テレジア女帝が1743年以降に大改修をしたシェーンブルン宮殿の庭園もこの形式です。
 一方、マリーは、庭をありのままの自然をみられる場所にしたいと主張します。それは18世紀のイギリスで、フランス式の幾何学式庭園に対抗するように生まれた庭そのものでした。人間の力で整えられた自然ではなく、人間の力の及ばない偉大で美しい自然、その真実の姿を再現する庭で、イギリスでは風景画を再現するような庭が造られました。マリーは学問としてイギリス式の庭を学んだわけではありません。けれども規定の形にとらわれない庭づくりは、まさに父親が決めた人生ではなく自分らしく生きること、夢を追い求め、自由を求めるマリーの気持ちを表すものだといえるでしょう。
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児童書に、こういう庭園様式の話がさらっと出てくる文化が、単純に「うらやましいなあ」と思いました。例えば、日本で「最新流行の露地風の庭」みたいなセリフが出てくるような文学って無いような気がします。それぞれの文化の中で、ぞれぞれ、ガーデナーとしての仕事があるのですが、やはり、子どもの頃からこういう言葉に慣れ親しんでいる人々と、そうでない人々の違いって大きいなと思うんですよね。





『丁先生、漢方って、おもしろいです。』

オーガニックなガーデニングをしているQ-GARDENでは、病害虫の防除には、環境に影響の少ない薬剤を使用しています。例えば、生薬をブレンドしたもの、重曹、生物農薬など。これらの薬剤は、効き目が表れるのに少々時間がかかることが多いです。「○○ジェット」のようなゴキブリを殺虫するスプレー剤は、噴射したら目の前で即座に死にますが、上記のような薬剤は、「次の日に見てみると死んでいる」という感じの効き方です。

 ときどき、依頼主から「すぐに効く薬剤を散布してほしい。」とリクエストされることがあります。「散布したそばから毛虫がボトボト落ちてくる様な感じでないと、ちゃんと仕事をしている感じがしないから」という理由だそうなのですが、「散布したそばからボトボト落ちてくるような薬剤って、逆にコワい部分もあるはずなのにな。」と私は思います。

 この意識のギャップにしょっちゅう悩んでいるわけですが、「なるほど!」とわかりやすい本と出会いました。

『丁先生、漢方って、おもしろいです。』
南伸坊さんが生徒役になって、丁宗鐡先生の話を聞くという構成になっています。この、南伸坊さんが生徒になるシリーズは、どれも面白くわかりやすいので、新しいのを見つけると読んでいます。

この本の中で、西洋と東洋では「薬の定義」が違うということが語られます。
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薬ってものの定義、これが国によっても、地域によっても、民族によっても、時代によっても違います。で、アジアというのは、薬を非常におおらかに考えてます。食べ物と薬の境界も定かではないし、空気だって薬にもなるし毒にもなる、水もそうだと。
〈中略〉
ところが、西洋では「薬」といったら「物質」です。モノです。マテリアルです。手で扱えるものが薬。毒と薬というのが常に組になっていて、薬というのは副作用があってあたりまえ、むしろ副作用がない薬というのは考えづらい。
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西洋の薬は、副作用があって当たり前という考え方だったんですね。で、そもそも、その考え方の違いは、植物相にあると丁先生はいいます。
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西洋人は、強い、クリアカットに効く薬をいい薬だと思う。熱冷ましを飲んで、すぐに熱が下がると「これはいい薬だ」となる。ところがアジアでは、熱冷ましで、すぐに熱が下がると「ちょっとこれヤバいんじゃないの」とみんな思います。
なせそんな違いができたのかというと、アジアで手に入る植物には毒草が多い。アジアの方がヨーロッパにくらべて植物相がバラエティーに富んでいます。
キノコ一つとっても、アジアにではそこらに生えているのも毒だらけ、毒にあたって死ぬことがあるので注意が必要です。なるべく毒のないもの、毒のないものでさらに蒸したり炒めたりして毒性を減弱させて薬に使うという、という習慣ができた。
ヨーロッパでは植物相が貧困ですから、植物も限られている。長い間いい薬草がなかったので強い薬を求めていた。確実に効く薬を求めていました。

なるほどね~
「薬」=「毒」、「副作用があって当たり前」。という考え方の世界で、農薬も発達してきたということか。

先日、たまたま訪れた高原で、すごく沢山のキノコが生えていたのですが、ほとんどが毒キノコでした。(かわいかったけど・・・)そんなキノコの林を散策しながら、日本だと、あまり知識のない人が、自分で摘んだキノコを食べるのは、かなり博打的な感じがあるけど、レジャーとしてキノコ狩りが盛んな北欧では、どんな感じなのかな?と思っていたところでした。日本よりも毒キノコが少ないんですね。きっと。

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最近、「カゼをひいたときに熱冷ましを飲まない方が治りが早い」という、漢方的な考え方が徐々に浸透してきています。ガーデニング界にも、そんな考え方が普通になる日がやっくるように、私もがんばろう。



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プロフィール

小島 理恵

Author:小島 理恵
GARDENER Q-GARDEN代表取締役
All About 「家庭菜園」ガイド
町田ひろ子インテリアアコーディネーターアカデミー 講師

庭のプランニング・施工・ケアまで一貫して手がけている。四季を通じて植物を楽しむことができるオーガニックな空間づくりが特徴。

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