開渠 = 快挙?
松本は、湧水の多い町。市内に温泉もあり、学生時代は、浅間温泉の銭湯にほぼ毎日通っていたが、温泉でない街中の銭湯は、大抵、湧水を沸かしたもので、それも、なかなか良かった。
久々に恩師と語り合い、その後、親友と深夜まで語り合った翌日、街をぶらぶら歩いていると、「源智の井戸」に通りかかった。この井戸は、CMなどにも取り上げられたりしたようで、観光客もぽつぽつとやって来る。相変わらず地元の人たちの手できれいに整備されている井戸の、冬でも暖かい水飲みながら看板を眺めていると、地元の人が本当に大切にしているんだなということが伝わってくる。
井戸から流れ出る水に沿って、街を下っていくと、道路工事が行われていた。これは、暗渠だった排水溝を開渠にする工事で、「おお~これは快挙だな!」と、ひとり、おやじギャグをつぶやいてしまった・・・
なぜ、快挙かというと・・・
高度経済成長期の前までは、排水溝というものは家の前を開渠で通されていたものであった。そうすると、もし、地域の排水が汚れれば、誰の家から汚れが出たのかが明らかになってしまう。だから、それぞれの地域でルールを決めて、こういうモノは流さないとか、家の中から排水として流す前に、庭に溜まりを作って、そこにコイを飼ったりして、食器についた食べ残しなどはそのコイに食べてもらってから、地域の排水溝に流していたりと、極力水を汚さないような工夫を凝らしていて、その形は、まだ、白川郷などで見ることができる。
なぜ、個人個人ができる限り排水を汚してはいけないかというと、当たり前のことだが、その排水は、やがて地域の川に流れ、大きな河に合流し、最後は海に流れ出るからである。
高度経済成長時代に、その排水溝は次々とフタをされ、各家庭から出た排水は、誰の目にも触れない形で川に流れていくようになった。そうすると、その当たり前のことが、人々の意識から消えてしまって、何を流してもOKになってしまったことが、川の汚染の原因のひとつと考えて良いと思いう。
まさに、「臭いものにはフタをしろ」という状態。
ただ、フタをしただけでは、根本的な解決にならなかったといういうことが、松本市の人たちにはわかったということなのかな?そのフタが、再び剥がされていることに、環境に対する意識の高さというか、決意の高さをすごく感じたのでありました。